2010年09月25日
江藤新平が泣いている
日本の司法は「三権分立」の一つ。
確固たる独立性があるからこそ法治国家の所以。
わが国は今、法治国家の旗印を下ろした。
自国内に侵入し、監視する船に体当たりをした漁船を法律によって裁くのは法治国家ならば当たり前の話。
政治と司法とが分けられているからこそ、粛粛とコトを進めていただけのこと。
他国の領海・領土に勝手に入り込む“盗人”を取締るのは当然のこと。
小生は昨年来、あんたんたる気持ちで政府を見てきたが、今回の法治国家崩壊は、福田赳夫政権時の『ダッカ事件』以来の脱力感がある…( ̄~ ̄)ξ
司法を確立しようとした江藤新平が泣いている。
情けない国。
確固たる独立性があるからこそ法治国家の所以。
わが国は今、法治国家の旗印を下ろした。
自国内に侵入し、監視する船に体当たりをした漁船を法律によって裁くのは法治国家ならば当たり前の話。
政治と司法とが分けられているからこそ、粛粛とコトを進めていただけのこと。
他国の領海・領土に勝手に入り込む“盗人”を取締るのは当然のこと。
小生は昨年来、あんたんたる気持ちで政府を見てきたが、今回の法治国家崩壊は、福田赳夫政権時の『ダッカ事件』以来の脱力感がある…( ̄~ ̄)ξ
司法を確立しようとした江藤新平が泣いている。
情けない国。
2010年09月20日
司馬史観 大隈重信
司馬遼太郎の『花神』の中では、佐賀藩士が幾人か登場します。この中で大隈重信に関しての記述があります。
以下、『花神』下巻 406、407ページから転載
大隈重信というのは、明治後、異様な大風呂敷屋として大正期までの日本の政界の内外にすわりつづけるが、この人物の特徴は、およそ観念論をうけつけないところにあった。
かれは佐賀人のくせに「葉隠」思想をきらい、むしろのろっていた。幕末には流行の尊王攘夷を浮華にとなえることもなく、日本になによりも必要なのは英語であるとし、長崎で小さな英語術をひらいたりした。そういうかれの現実主義的立場をさらにつよくしていたのは、この大風呂敷屋が銭勘定にかけては天才的なかんをもっていたことであった。かれの財政論は財政学的素養こそもっていなかったが、いきなり結論がわかるという点で、天才的なところがあったといっていい。
そういう大隈が、村田蔵六という人物をみて最大級に感心してしまったのは、イデオロギー闘争のなかから誕生したこの革命にあっては、大隈のような現実論者がまれで、それだけに大隈の感動は大きかったにちがいない。
大隈はのちその『昔日譚』で語っている。
「大村益次郎は、胆気豪勇、言行俊警、また開国進歩の主義を持し、とくに兵事において最も精しく、かの西洋の法式を輸入し、わが国の兵制を改むる所あらんとし、当時の英雄豪傑として、ほとんどそのたぐいまれなりし者」【転載了】
司馬さんの歴史小説の特徴は、司馬さん自身が膨大な資料の中から話を構築している点で、その時代のあり方などをさまざまな事例を交えて説明している点です。
大隈重信は「義祭同盟」以来の江藤新平の盟友ですが、「明治6年の政変(征韓論)」でも大きく異なりました。
小生もこのブログで大隈重信と江藤新平とのエピソードを書きました。
http://sagawokakeru.sagafan.jp/e265072.html
司馬さんが言う現実主義の大隈が江藤新平とどう見てるか…、これも江藤を描く上で重要なポイントとなるでしょうね。
以下、『花神』下巻 406、407ページから転載
大隈重信というのは、明治後、異様な大風呂敷屋として大正期までの日本の政界の内外にすわりつづけるが、この人物の特徴は、およそ観念論をうけつけないところにあった。
かれは佐賀人のくせに「葉隠」思想をきらい、むしろのろっていた。幕末には流行の尊王攘夷を浮華にとなえることもなく、日本になによりも必要なのは英語であるとし、長崎で小さな英語術をひらいたりした。そういうかれの現実主義的立場をさらにつよくしていたのは、この大風呂敷屋が銭勘定にかけては天才的なかんをもっていたことであった。かれの財政論は財政学的素養こそもっていなかったが、いきなり結論がわかるという点で、天才的なところがあったといっていい。
そういう大隈が、村田蔵六という人物をみて最大級に感心してしまったのは、イデオロギー闘争のなかから誕生したこの革命にあっては、大隈のような現実論者がまれで、それだけに大隈の感動は大きかったにちがいない。
大隈はのちその『昔日譚』で語っている。
「大村益次郎は、胆気豪勇、言行俊警、また開国進歩の主義を持し、とくに兵事において最も精しく、かの西洋の法式を輸入し、わが国の兵制を改むる所あらんとし、当時の英雄豪傑として、ほとんどそのたぐいまれなりし者」【転載了】
司馬さんの歴史小説の特徴は、司馬さん自身が膨大な資料の中から話を構築している点で、その時代のあり方などをさまざまな事例を交えて説明している点です。
大隈重信は「義祭同盟」以来の江藤新平の盟友ですが、「明治6年の政変(征韓論)」でも大きく異なりました。
小生もこのブログで大隈重信と江藤新平とのエピソードを書きました。
http://sagawokakeru.sagafan.jp/e265072.html
司馬さんが言う現実主義の大隈が江藤新平とどう見てるか…、これも江藤を描く上で重要なポイントとなるでしょうね。
2010年09月20日
司馬史観
わが国で歴史小説の第一人者と言えば、なんと言っても司馬遼太郎さんでしょうが、司馬さんの小説は、登場人物の描き方の中で独特の“歴史観”が出てきます。
江藤新平を主人公にした小説『歳月』があることから、小生も司馬さんの作品に興味を持ち、今、いくつかの作品を読んでいるところです。
司馬さんの歴史観は「司馬史観」として、多くの人に影響を与えています。
現在小生が読んでいる作品『花神』には以下のような一節が出てきます。
以下、転載します。
【大革命というものは、まず最初に思想家があらわれて非業の死をとげる。日本では吉田松陰のようなものであろう。ついで戦略家の時代に入る。日本では、高杉晋作、西郷隆盛のような存在でこれまた天寿をまっとうしない。三番目に登場するのが、技術者である。この技術というのは科学技術であってもいいし、法制技術、あるいは蔵六が後年担当したような軍事技術であってもいい】転載了
上記の中で「蔵六」というのは主人公の大村益次郎(村田蔵六)のことです。
1977年の大河ドラマの『花神』の中でも上記の一節は、ナレーションが出てきます。ドラマの中で高杉晋作(演:中村雅俊)が初登場のシーンで使われています。
小生の中では司馬さんのこと見方が強烈に印象に残っていて、江藤新平が上記の戦略家に当たるのか?技術者に当たるのか?が興味深いところです。
江藤新平を主人公にした小説『歳月』があることから、小生も司馬さんの作品に興味を持ち、今、いくつかの作品を読んでいるところです。
司馬さんの歴史観は「司馬史観」として、多くの人に影響を与えています。
現在小生が読んでいる作品『花神』には以下のような一節が出てきます。
以下、転載します。
【大革命というものは、まず最初に思想家があらわれて非業の死をとげる。日本では吉田松陰のようなものであろう。ついで戦略家の時代に入る。日本では、高杉晋作、西郷隆盛のような存在でこれまた天寿をまっとうしない。三番目に登場するのが、技術者である。この技術というのは科学技術であってもいいし、法制技術、あるいは蔵六が後年担当したような軍事技術であってもいい】転載了
上記の中で「蔵六」というのは主人公の大村益次郎(村田蔵六)のことです。
1977年の大河ドラマの『花神』の中でも上記の一節は、ナレーションが出てきます。ドラマの中で高杉晋作(演:中村雅俊)が初登場のシーンで使われています。
小生の中では司馬さんのこと見方が強烈に印象に残っていて、江藤新平が上記の戦略家に当たるのか?技術者に当たるのか?が興味深いところです。
2010年09月15日
経営者が好きな歴史モノ
経営者の方たちの中には「歴史もの」が好きな方が多いですね。小生も仕事柄多くの経営者とお会いしますが、歴史好きの方が確かに多いです。
リーダーシップ論ということで言えば、戦国武将などはよくビジネスの題材などにも上がりますが、小生は少し違う見方をしています。
戦国時代の武将たちの“リーダーシップ”というのは基本的に、現代の社会の構造とは大きく異なる時代のものです。
社会制度そのものが違いますし、現代のビジネスは「労働の自由」に基づいた契約による雇用関係があります。
「人を動かす力」ですが、戦国時代と現代とでは、その基盤となる人間の価値観も異なり、果たして戦国時代のやり方が現代に通用するか…という点もやや疑問があります。
とはいうものの、戦国時代と現代とを結ぶ“インタープリター”(通訳)がおり、戦国時代のモノの考え方を現代風に“訳して”今の時代に置き換えるという作業をすれば、多くの人にも理解できるということになるのかもしれません。
以前のブログにも書きましたが、小生は戦国時代よりも幕末や明治維新の方が断然好きです。それは、「政策や施策、あるいは国策や戦略…」というのがより具体的で現代の社会に近い点が挙げられます。
明治6年の政変での政策論であった『征韓論』にしても、大久保VS西郷という図式がありましたが、これらをめぐる人間関係や価値観、状況分析の違いに加えて、そこには『国の形をどうすべきか…』の論点があり、そのことが戦国時代の闘いにはあまりなかった点だと思っています。
そうした意味で、小生が好きな歴史モノは、幕末から明治維新ですねぇ…。
リーダーシップ論ということで言えば、戦国武将などはよくビジネスの題材などにも上がりますが、小生は少し違う見方をしています。
戦国時代の武将たちの“リーダーシップ”というのは基本的に、現代の社会の構造とは大きく異なる時代のものです。
社会制度そのものが違いますし、現代のビジネスは「労働の自由」に基づいた契約による雇用関係があります。
「人を動かす力」ですが、戦国時代と現代とでは、その基盤となる人間の価値観も異なり、果たして戦国時代のやり方が現代に通用するか…という点もやや疑問があります。
とはいうものの、戦国時代と現代とを結ぶ“インタープリター”(通訳)がおり、戦国時代のモノの考え方を現代風に“訳して”今の時代に置き換えるという作業をすれば、多くの人にも理解できるということになるのかもしれません。
以前のブログにも書きましたが、小生は戦国時代よりも幕末や明治維新の方が断然好きです。それは、「政策や施策、あるいは国策や戦略…」というのがより具体的で現代の社会に近い点が挙げられます。
明治6年の政変での政策論であった『征韓論』にしても、大久保VS西郷という図式がありましたが、これらをめぐる人間関係や価値観、状況分析の違いに加えて、そこには『国の形をどうすべきか…』の論点があり、そのことが戦国時代の闘いにはあまりなかった点だと思っています。
そうした意味で、小生が好きな歴史モノは、幕末から明治維新ですねぇ…。
2010年09月15日
政治家の生と死
政治の世界ではよく「命を懸けて」という表現がされます。
平和な現代においては、あまり実感がない言葉のように聞こえますが、元来政治というのは、政治家同士が“殺し合い”をするほどの権力闘争でした。
政治家はそれだけ重要な判断を任されますし、政治家の決断が人の命を奪うことさえあります。
戦争を決断するのも政治家ですし、この判断のいかんによっては多くの人の運命を決めてしまいます。
ただあえて言えば、現代とかつての時代(※限定しないが)の違いは、政治を取り巻く環境や状況が異なっているだけであって、“本質”はなんら変わらないと思っています。
江藤新平の政敵であった大久保利通は日記の中で、佐賀の乱(佐賀戦争)の裁判を受けた際の江藤の様子を『笑止なり…』と記しています。
これは、小生の感覚からすれば異様です。
というのも、この裁判において江藤は死罪は免れない状況になっており、その状況を作り出したのは大久保本人です。
小生の感覚からすれば、『いかに政敵と言えども死に行く人への惻隠の情があってもいい…』と思うからです。
大久保は恐らく、自分の日記が後世の人に読まれて“歴史の評価”の題材になることを見越して、『江藤は笑止…』という言葉を使ったのでしょう。
その代わり大久保は他の者(※佐賀の乱で処刑された者たち)に対しては『立派』という表現を使っています。
つまり、江藤は笑いものであるが他のものは立派…。相対的に江藤の地位を貶めたいという意図がうかがえます。
ある意味、政敵は骨の髄まで憎い!という彼の気持ちからだと思います。
かつてのNHK大河ドラマで『葵徳川三代』がありました。この中で関ヶ原の合戦に敗れた石田三成が徳川家康に会うシーンがありますが、家康は三成を丁重に扱っています。
既に勝負が決した後は、“人としての尊厳”を出したのでしょう。
これが史実かドラマ上の脚本かは知りませんが、日本人の心には響くシーンでした。
平和な現代においては、あまり実感がない言葉のように聞こえますが、元来政治というのは、政治家同士が“殺し合い”をするほどの権力闘争でした。
政治家はそれだけ重要な判断を任されますし、政治家の決断が人の命を奪うことさえあります。
戦争を決断するのも政治家ですし、この判断のいかんによっては多くの人の運命を決めてしまいます。
ただあえて言えば、現代とかつての時代(※限定しないが)の違いは、政治を取り巻く環境や状況が異なっているだけであって、“本質”はなんら変わらないと思っています。
江藤新平の政敵であった大久保利通は日記の中で、佐賀の乱(佐賀戦争)の裁判を受けた際の江藤の様子を『笑止なり…』と記しています。
これは、小生の感覚からすれば異様です。
というのも、この裁判において江藤は死罪は免れない状況になっており、その状況を作り出したのは大久保本人です。
小生の感覚からすれば、『いかに政敵と言えども死に行く人への惻隠の情があってもいい…』と思うからです。
大久保は恐らく、自分の日記が後世の人に読まれて“歴史の評価”の題材になることを見越して、『江藤は笑止…』という言葉を使ったのでしょう。
その代わり大久保は他の者(※佐賀の乱で処刑された者たち)に対しては『立派』という表現を使っています。
つまり、江藤は笑いものであるが他のものは立派…。相対的に江藤の地位を貶めたいという意図がうかがえます。
ある意味、政敵は骨の髄まで憎い!という彼の気持ちからだと思います。
かつてのNHK大河ドラマで『葵徳川三代』がありました。この中で関ヶ原の合戦に敗れた石田三成が徳川家康に会うシーンがありますが、家康は三成を丁重に扱っています。
既に勝負が決した後は、“人としての尊厳”を出したのでしょう。
これが史実かドラマ上の脚本かは知りませんが、日本人の心には響くシーンでした。
2010年09月13日
司馬遼太郎さんの本には…
江藤新平をNHK大河ドラマの主人公にという“お気楽プロジェクト”を始めてからというもの、司馬遼太郎さんの歴史小説を読み返すことが多くなりました。
既に、江藤新平を主人公にした司馬さんの小説『歳月』に関しては数回読みましたが、このほか、現在、『花神』を読んでいます。
大河ドラマの中で小生が最も好きなのは1977年の『花神』ですが、この原作は司馬さんです。
この「花神」に関しては、小生はこのブログでもかなりの本数、ネタとしていますが、この小説の中に、たまに江藤新平や鍋島直正(閑叟)のことがよく出てきます。
司馬さんの小説の書き方は、物語を進める上で、ちょっとした“解説”が入りますが、これが妙に面白いんですよねぇ…。
読む側としては、本当に引き込まれてしまいます。
また、司馬さんは幕末から明治維新にかけての志士たちを主人公にした題材が多いので、こうした意味において、作品を超えての“人物像”が登場しているのかと思いますね。
江藤や閑叟が「花神」で出てくるのは、人物評価特に、長州人を評する際に、『江藤によると…』とか「閑叟によると…」というくだりが見られます。
長州というと当時は、独特の世界観と人材を輩出した地域ですが、江藤らが長州に関しては“冷静な目”で見ていたことが司馬作品の中では伺えますね。
既に、江藤新平を主人公にした司馬さんの小説『歳月』に関しては数回読みましたが、このほか、現在、『花神』を読んでいます。
大河ドラマの中で小生が最も好きなのは1977年の『花神』ですが、この原作は司馬さんです。
この「花神」に関しては、小生はこのブログでもかなりの本数、ネタとしていますが、この小説の中に、たまに江藤新平や鍋島直正(閑叟)のことがよく出てきます。
司馬さんの小説の書き方は、物語を進める上で、ちょっとした“解説”が入りますが、これが妙に面白いんですよねぇ…。
読む側としては、本当に引き込まれてしまいます。
また、司馬さんは幕末から明治維新にかけての志士たちを主人公にした題材が多いので、こうした意味において、作品を超えての“人物像”が登場しているのかと思いますね。
江藤や閑叟が「花神」で出てくるのは、人物評価特に、長州人を評する際に、『江藤によると…』とか「閑叟によると…」というくだりが見られます。
長州というと当時は、独特の世界観と人材を輩出した地域ですが、江藤らが長州に関しては“冷静な目”で見ていたことが司馬作品の中では伺えますね。
2010年09月10日
江藤新平像
従来の江藤新平のイメージは、司馬遼太郎さんが書いた歴史小説『歳月』の影響によるものが多いと思います。
この中での江藤は、どちらかと言うと「孤高」とも言える理想家で、筋の通らないことは絶対に許さない的な頑固さを持ち合わせています。
司馬さんは江藤の政敵であった大久保利通らを主人公にした小説も書いていますので、この時代(幕末から明治維新にかけて)の歴史の研究はかなりの業績があるかと思います。
司馬さんは元新聞記者でもありましたし、そうした意味では『取材・検証』というプロセスを小説の執筆にも採りいれているのかもしれません。
小生は「司馬マニア」というほど司馬さんの本を読んでいるわけではなく、司馬作品はあまり明るい方ではありませんが、少なくとも『歳月』を読んだ感想としては、司馬さんの“人間を描く力”の凄さを実感しました。
歴史を語る者は、その当時のものの考え方や主人公の思考回路のプロセスなどを頭に入れなければなりません。
同時に、それが「小説を書く」ということでアウトプットされるものであれば、司馬さんの作品のようにエンターテインメント性を持ち合わせていなければならないと思っています。
NHK大河ドラマには、「原作司馬遼太郎」という作品が数多くありますが、司馬さんという不世出の巨人がいたからこそ、ドラマという別のエンターテインメントコンテンツでも歴史が語られてきたのでしょう。
さて、小生が考える江藤新平は?!
これは別の機会に書きましょう。
この中での江藤は、どちらかと言うと「孤高」とも言える理想家で、筋の通らないことは絶対に許さない的な頑固さを持ち合わせています。
司馬さんは江藤の政敵であった大久保利通らを主人公にした小説も書いていますので、この時代(幕末から明治維新にかけて)の歴史の研究はかなりの業績があるかと思います。
司馬さんは元新聞記者でもありましたし、そうした意味では『取材・検証』というプロセスを小説の執筆にも採りいれているのかもしれません。
小生は「司馬マニア」というほど司馬さんの本を読んでいるわけではなく、司馬作品はあまり明るい方ではありませんが、少なくとも『歳月』を読んだ感想としては、司馬さんの“人間を描く力”の凄さを実感しました。
歴史を語る者は、その当時のものの考え方や主人公の思考回路のプロセスなどを頭に入れなければなりません。
同時に、それが「小説を書く」ということでアウトプットされるものであれば、司馬さんの作品のようにエンターテインメント性を持ち合わせていなければならないと思っています。
NHK大河ドラマには、「原作司馬遼太郎」という作品が数多くありますが、司馬さんという不世出の巨人がいたからこそ、ドラマという別のエンターテインメントコンテンツでも歴史が語られてきたのでしょう。
さて、小生が考える江藤新平は?!
これは別の機会に書きましょう。
2010年09月08日
佐賀県立図書館を訪ねたい
先日、佐賀県立図書館を訪ねたブログを書きました。
http://sagawokakeru.sagafan.jp/e266714.html
佐賀県人としては、郷土の先人たちの業績をしっかりと見ておきたいという気持ちがあります。
小生の『江藤新平をNHK大河ドラマの主人公に…』という“お気楽プロジェクト”も県民の一人としての思いも込めています。
歴史の史実は後世の研究家によって、その基礎が築かれますが、その元となる題材があります。
小生は専門家ではないのですが、歴史の資料に関しては、それがどのような状況で作成されたのかの状況を検証して、真偽度を計ります。
人間は誰でも自分の業績を認めて欲しいという願望がありますから、自分で自分のことを書いたコトというのは、多少なりとも脚色も含まれていることかと思います。
ところが、他人がその人のことを評したもの、あるいは他人がその人に当てた私信などは、客観的な評価や概念が含まれています。
佐賀県立図書館に所蔵されている『江藤家文書』に関しては、江藤が受け取った書面なので、基本的には江藤の仕事や他者との関係性などが表れています。
この「江藤家文書」の活字化作業もほぼ終わり、関係者によると、新たな史実も発見でした…ということでした。
小生としても、次の休みの時には「佐賀県立図書館」を訪ねて、今一度担当者の方とお話をしたいと思っています。
http://sagawokakeru.sagafan.jp/e266714.html
佐賀県人としては、郷土の先人たちの業績をしっかりと見ておきたいという気持ちがあります。
小生の『江藤新平をNHK大河ドラマの主人公に…』という“お気楽プロジェクト”も県民の一人としての思いも込めています。
歴史の史実は後世の研究家によって、その基礎が築かれますが、その元となる題材があります。
小生は専門家ではないのですが、歴史の資料に関しては、それがどのような状況で作成されたのかの状況を検証して、真偽度を計ります。
人間は誰でも自分の業績を認めて欲しいという願望がありますから、自分で自分のことを書いたコトというのは、多少なりとも脚色も含まれていることかと思います。
ところが、他人がその人のことを評したもの、あるいは他人がその人に当てた私信などは、客観的な評価や概念が含まれています。
佐賀県立図書館に所蔵されている『江藤家文書』に関しては、江藤が受け取った書面なので、基本的には江藤の仕事や他者との関係性などが表れています。
この「江藤家文書」の活字化作業もほぼ終わり、関係者によると、新たな史実も発見でした…ということでした。
小生としても、次の休みの時には「佐賀県立図書館」を訪ねて、今一度担当者の方とお話をしたいと思っています。
2010年09月05日
ロマンか現実か?!
今から20年前に小生が新聞記者をやっていたころに『記者日記(※コラム)』を書きました。そのタイトルが『ロマンか現実か』でした。
詳しい内容は忘れましたが、唐津市鎮西町の方たちが韓国に交流に行った際に、現地の韓国人のから『あなた方の祖先は二度、韓国を侵略しました。一つめは日本の植民地政策、二つめは、豊臣秀吉です…』。
これを聞いた方は、果たして「400年以上も前の話を韓国の人はいまだに“現実”として受け止めている」ということに驚いたそうです。
われわれの感覚から言えば、戦国時代のことなどは既に「歴史のロマン」という色合いが強くあります。
ところが、別の歴史の価値観を持つ人からすればそれは違う見方になる…ということでしょう。
そこで上記のようなコラムを書いたと思います。
さて、われわれにとっての江藤新平は?!
ロマンか? 現実か? いずれでしょうか…。
詳しい内容は忘れましたが、唐津市鎮西町の方たちが韓国に交流に行った際に、現地の韓国人のから『あなた方の祖先は二度、韓国を侵略しました。一つめは日本の植民地政策、二つめは、豊臣秀吉です…』。
これを聞いた方は、果たして「400年以上も前の話を韓国の人はいまだに“現実”として受け止めている」ということに驚いたそうです。
われわれの感覚から言えば、戦国時代のことなどは既に「歴史のロマン」という色合いが強くあります。
ところが、別の歴史の価値観を持つ人からすればそれは違う見方になる…ということでしょう。
そこで上記のようなコラムを書いたと思います。
さて、われわれにとっての江藤新平は?!
ロマンか? 現実か? いずれでしょうか…。
2010年08月27日
日本の制度の基礎を作った者同士
現在の日本では、自民党の長期政権が崩れ、昨年は本格的な民主党政権が誕生しました。
「政治」における根本は『政策論争』ですが、これを大河ドラマで描こうとすると、なかなか難しいものがあります。
以前のブログで「義」について書きました。
http://sagawokakeru.sagafan.jp/e261366.html
http://sagawokakeru.sagafan.jp/e261372.html
戦国時代の義は、非常に抽象的です。
戦国武将や大名たちの“政策”といっても現代のように具体的な方法論ではなく、「圧政」とか「一揆」とか、一般的に思われているネガティブイメージとそれをどう扱うかにおいて正邪が描かれています。
江藤新平の時代は現代に近いものがあります。
江藤が司法卿時代に、今で言う「政治と金問題」で、山縣有朋を一旦、失脚に追いやっています。
これが「山城屋事件」ですが、江藤の正義感の強さがよく表れています
参照:ウィキペディア「山城屋事件」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%9F%8E%E5%B1%8B%E4%BA%8B%E4%BB%B6
明治維新後の政変や汚職事件などは、戦国時代などに比べると明らかにその資料の数が多いのが特徴です。
ちなみに、山縣は高杉晋作が作った「奇兵隊」の継承者であり、大村益次郎が亡き後は日本の軍備増強の中心的な役割を担いました。
蛇足ですが、現在のわが国の官僚制度の基礎を作ったのは山縣と言われています。
司法制度の基礎を作った江藤が41歳の若さで梟首され、官僚制度の基礎を作った山縣は83歳まで生きています。
ここにも大きな“ドラマ”がありますね。
「政治」における根本は『政策論争』ですが、これを大河ドラマで描こうとすると、なかなか難しいものがあります。
以前のブログで「義」について書きました。
http://sagawokakeru.sagafan.jp/e261366.html
http://sagawokakeru.sagafan.jp/e261372.html
戦国時代の義は、非常に抽象的です。
戦国武将や大名たちの“政策”といっても現代のように具体的な方法論ではなく、「圧政」とか「一揆」とか、一般的に思われているネガティブイメージとそれをどう扱うかにおいて正邪が描かれています。
江藤新平の時代は現代に近いものがあります。
江藤が司法卿時代に、今で言う「政治と金問題」で、山縣有朋を一旦、失脚に追いやっています。
これが「山城屋事件」ですが、江藤の正義感の強さがよく表れています
参照:ウィキペディア「山城屋事件」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%9F%8E%E5%B1%8B%E4%BA%8B%E4%BB%B6
明治維新後の政変や汚職事件などは、戦国時代などに比べると明らかにその資料の数が多いのが特徴です。
ちなみに、山縣は高杉晋作が作った「奇兵隊」の継承者であり、大村益次郎が亡き後は日本の軍備増強の中心的な役割を担いました。
蛇足ですが、現在のわが国の官僚制度の基礎を作ったのは山縣と言われています。
司法制度の基礎を作った江藤が41歳の若さで梟首され、官僚制度の基礎を作った山縣は83歳まで生きています。
ここにも大きな“ドラマ”がありますね。
2010年08月25日
歴女
最近は『歴女』という言葉が流行っています。歴史に興味がある女性のことです。
ネットで以下のような記事を見つけました。
【女性の6割「歴史に興味ある」、はまったきっかけの半数が「大河ドラマ」】
http://release.center.jp/2009/02/2001.html
上記URLから記事一部転載
「歴史や歴史上の人物などに興味があるか」聞いたところ、全体の21.3%が「とても興味がある」、40.1%が「少し興味がある」と回答。男女別に見ると、「とても興味がある」男性は23.2%と女性の19.3%よりやや高いものの、「少し興味がある」を合わせると男女とも60%が「興味がある」と回答し、男女問わず歴史好きが多い実態を物語った。また年代別に見ると、「とても興味がある」とした熱心な歴史ファンは20代に最も多く、27.4%と他の年代を7ポイント以上上回った。
「とても」または「少し」「興味がある」と答えた人に「はまったきっかけ」を複数回答形式で聞くと、男性では「小説」が47.1%でトップ。次いで「大河ドラマ」が35.3%、「ゲーム」が30.7%、「マンガ」が30.1%と続くが、女性は「大河ドラマ」が53.2%でトップ。昨年の『篤姫』、今年の『天地人』の高視聴率とも関連性が見られそうだ。以下、「小説」44.7%、「マンガ」36.9%に続き、「時代劇」が34.8%と男性に比べ17ポイントも多かった。男性の30%以上が影響された「ゲーム」が女性では20%に満たず、逆に女性の35%近くが影響を受け4位につけた「時代劇」は男性では20%未満と、明確な差が表れた。[転載了]
これらの記事を見ても分かりますが、NHK『大河ドラマの影響』大きいですね。
ネットで以下のような記事を見つけました。
【女性の6割「歴史に興味ある」、はまったきっかけの半数が「大河ドラマ」】
http://release.center.jp/2009/02/2001.html
上記URLから記事一部転載
「歴史や歴史上の人物などに興味があるか」聞いたところ、全体の21.3%が「とても興味がある」、40.1%が「少し興味がある」と回答。男女別に見ると、「とても興味がある」男性は23.2%と女性の19.3%よりやや高いものの、「少し興味がある」を合わせると男女とも60%が「興味がある」と回答し、男女問わず歴史好きが多い実態を物語った。また年代別に見ると、「とても興味がある」とした熱心な歴史ファンは20代に最も多く、27.4%と他の年代を7ポイント以上上回った。
「とても」または「少し」「興味がある」と答えた人に「はまったきっかけ」を複数回答形式で聞くと、男性では「小説」が47.1%でトップ。次いで「大河ドラマ」が35.3%、「ゲーム」が30.7%、「マンガ」が30.1%と続くが、女性は「大河ドラマ」が53.2%でトップ。昨年の『篤姫』、今年の『天地人』の高視聴率とも関連性が見られそうだ。以下、「小説」44.7%、「マンガ」36.9%に続き、「時代劇」が34.8%と男性に比べ17ポイントも多かった。男性の30%以上が影響された「ゲーム」が女性では20%に満たず、逆に女性の35%近くが影響を受け4位につけた「時代劇」は男性では20%未満と、明確な差が表れた。[転載了]
これらの記事を見ても分かりますが、NHK『大河ドラマの影響』大きいですね。
2010年08月24日
征韓論という義
NHK大河ドラマにおいて、明治維新後が舞台となった作品はいくつかありますが、江藤新平を主人公にする場合においても、「政策論争的な義」が出てくると思います。
中でも「明治六年の政変」と言われる『征韓論』については、江藤新平のシナリオを描く上で大きなテーマになってきます。
ところで、政策論争的な立場の違いですが、現在のように情報伝達が早く、情報量に富み、情報公開がされているという世界ではありません。
したがって、その当事者の「政策形成にかかる過程」というのが、現代のそれと明治維新前後の時代とでは大きくことなるでしょう。
この政策形成にかかる違いがあることは、ある意味ドラマの醍醐味でもありますが、例えば、江藤新平と大久保利通との対立も、人間の感情的なものに加えて、政策論争的な義があるとすれば…。
それを、江藤の義だけが正義で大久保の義が間違いだ…ということを一方的に表現したのでは、これはドラマとしては不十分かと思います。
むしろ、この両者の対立の背景であるとか、それぞれの義の成り立ち方の違いなどについて、人間味などを交えてじっくり描くことができれば、これはこれで作品としての完成度は高くなるでしょう。
小生は、幕末・明治維新の描き方は他の時代よりも、相当難しい…と思っています。
資料などの量も多いですし、より現代に近いこともあって、具体的な意味合いを見つけていかなければならないでしょうね。
中でも「明治六年の政変」と言われる『征韓論』については、江藤新平のシナリオを描く上で大きなテーマになってきます。
ところで、政策論争的な立場の違いですが、現在のように情報伝達が早く、情報量に富み、情報公開がされているという世界ではありません。
したがって、その当事者の「政策形成にかかる過程」というのが、現代のそれと明治維新前後の時代とでは大きくことなるでしょう。
この政策形成にかかる違いがあることは、ある意味ドラマの醍醐味でもありますが、例えば、江藤新平と大久保利通との対立も、人間の感情的なものに加えて、政策論争的な義があるとすれば…。
それを、江藤の義だけが正義で大久保の義が間違いだ…ということを一方的に表現したのでは、これはドラマとしては不十分かと思います。
むしろ、この両者の対立の背景であるとか、それぞれの義の成り立ち方の違いなどについて、人間味などを交えてじっくり描くことができれば、これはこれで作品としての完成度は高くなるでしょう。
小生は、幕末・明治維新の描き方は他の時代よりも、相当難しい…と思っています。
資料などの量も多いですし、より現代に近いこともあって、具体的な意味合いを見つけていかなければならないでしょうね。
2010年08月24日
政策論争的な義
歴史観とは奇妙なもので、それは自分と言う存在との“距離感”によって正邪を判断しようとします。
例えば、今年は「日韓併合百年」に当たりますが、日本と韓国との歴史観も大きく異なります。例えば、初代首相の伊藤博文を暗殺した人(安重根)は韓国では義士とされています。
こうし歴史観の違いは、国をまたがずとも、日本の地域間の違いにおいても同様です。
この歴史観の違いを「大河ドラマ」という“表現の場”でどう考えるべきか…。
これは、原作者や脚本家、番組の演出家の“視点”によって変わってきますね。
話を前回のブログとも連動したネタに戻しますと…。
明治維新前の歴史観の義は、正直、あまり深刻なものではありません。
ところが、明治維新前後の義は、単なる大名同士の戦レベルではなく、それはその後の日本の運命を大きく変える可能性がある「政策論争的な義」が存在します。
つまり、1853(嘉永6年)年のペリー来航から、日本が列強な外国勢力にのみ込まれる可能性を見ながら、日本の行く末をどう舵取りを切るか…という日本国全体の運命を握った政策論争的な義なのです。
例えば、今年は「日韓併合百年」に当たりますが、日本と韓国との歴史観も大きく異なります。例えば、初代首相の伊藤博文を暗殺した人(安重根)は韓国では義士とされています。
こうし歴史観の違いは、国をまたがずとも、日本の地域間の違いにおいても同様です。
この歴史観の違いを「大河ドラマ」という“表現の場”でどう考えるべきか…。
これは、原作者や脚本家、番組の演出家の“視点”によって変わってきますね。
話を前回のブログとも連動したネタに戻しますと…。
明治維新前の歴史観の義は、正直、あまり深刻なものではありません。
ところが、明治維新前後の義は、単なる大名同士の戦レベルではなく、それはその後の日本の運命を大きく変える可能性がある「政策論争的な義」が存在します。
つまり、1853(嘉永6年)年のペリー来航から、日本が列強な外国勢力にのみ込まれる可能性を見ながら、日本の行く末をどう舵取りを切るか…という日本国全体の運命を握った政策論争的な義なのです。
2010年08月24日
義がどこにあるか?!
大河ドラマに限らず、物語においてそれを視聴者が見て共感を得るようにするためには「義」というものが必要です。
水戸黄門のように完全に正邪がはっきり分かられているドラマは分かりやすいです。
ところが、世に言う歴史物を扱う場合、視聴者が主人公にどう共感するかはその物語の主人公の「義」を、どう表現できるかが重要です。
小生はこれまでのNHK大河ドラマの題材を見てみたところ、戦国時代と明治維新後とでは大きく異なります。
これを記述するのは少し長くなりますので、後編を次のブログに書きますが、簡単に言えば、明治以降は『政策論争的な義である…』ということです。
日本人が好きな戦国時代の話ですが、豊臣秀吉と徳川家康。秀吉亡き後に石田三成と家康とが「関が原の合戦」をします。
この時の「義」ですが、現代の日本人にとっては、果たして光成が勝ったほうがいいのか、家康が勝ったほうがいいのかは分かりません。
ただ単に、何となく歴史小説などを読んで、豊臣ひいきになったので心情的に三成を応援したとか。
江戸幕府を開いて天下統一をした家康を評価しているので、家康を支持するとか…。
それとも、自分の住んでいる所が、どちらに近いかとか。観光地で訪れたことがあるとか…。
恐らく、その程度の“義”かと思います。
ただ単に、何となく歴史小説などを読んで、豊臣ひいきになったので心情的に光成を応援したとか。
江戸幕府を開いて天下統一をした家康を評価しているので、家康を支持するとか…。
それとも、自分の住んでいる所が、どちらに近いかとか。観光地で訪れたことがあるとか…。
恐らく、その程度の“義”かと思います。
水戸黄門のように完全に正邪がはっきり分かられているドラマは分かりやすいです。
ところが、世に言う歴史物を扱う場合、視聴者が主人公にどう共感するかはその物語の主人公の「義」を、どう表現できるかが重要です。
小生はこれまでのNHK大河ドラマの題材を見てみたところ、戦国時代と明治維新後とでは大きく異なります。
これを記述するのは少し長くなりますので、後編を次のブログに書きますが、簡単に言えば、明治以降は『政策論争的な義である…』ということです。
日本人が好きな戦国時代の話ですが、豊臣秀吉と徳川家康。秀吉亡き後に石田三成と家康とが「関が原の合戦」をします。
この時の「義」ですが、現代の日本人にとっては、果たして光成が勝ったほうがいいのか、家康が勝ったほうがいいのかは分かりません。
ただ単に、何となく歴史小説などを読んで、豊臣ひいきになったので心情的に三成を応援したとか。
江戸幕府を開いて天下統一をした家康を評価しているので、家康を支持するとか…。
それとも、自分の住んでいる所が、どちらに近いかとか。観光地で訪れたことがあるとか…。
恐らく、その程度の“義”かと思います。
ただ単に、何となく歴史小説などを読んで、豊臣ひいきになったので心情的に光成を応援したとか。
江戸幕府を開いて天下統一をした家康を評価しているので、家康を支持するとか…。
それとも、自分の住んでいる所が、どちらに近いかとか。観光地で訪れたことがあるとか…。
恐らく、その程度の“義”かと思います。
2010年08月15日
江藤新平の業績を見直すことは?!
明治政府への反乱として、斬首及びさらし首になった江藤新平。
明治維新の立役者として、また初代の司法卿として彼の業績は佐賀県民はしっかりと受け継いでいます。
佐賀新聞のWebサイトには江藤新平の説明文がありました。
http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1612909.article.html
上記URLから一部転載
佐賀の七賢人の一人、江藤新平の遺徳をしのぶ「銅像まつり」が14日、佐賀市の神野公園内の江藤新平銅像前で開かれた。江藤が政府軍に捕縛された高知県東洋町から澤山保太郎町長が初めて訪れ、「国民主権で近代日本を築こうとした『人権の父』を尊敬している」とあいさつした。
式典には、江藤のひ孫・江藤兵部さん(70)や秀島敏行佐賀市長ら関係者約100人が出席。「江藤を救えなかった後悔がある」と、東洋町からも15人が参加した。
江藤は明治政府の初代司法卿(現在の法務大臣)として知られる。澤山町長は江藤が全国にあてた一文に「政府の措置に異議があるものは申し出よ」と記していることを挙げ、「命令が当然の時代。国民主権が国家を強くするという信念が見える」と評価。政敵・大久保利通の謀略から40歳で処刑されたことを惜しんだ。
式典は銅像が完成した1976年から佐賀観光協会が毎年開催。玉ぐしをささげ、奉納吟や面浮立も披露された。
[転載了]
これを見るまでもなく、江藤の業績は現在の日本に大きな影響を与えたかと思います。
明治維新の立役者として、また初代の司法卿として彼の業績は佐賀県民はしっかりと受け継いでいます。
佐賀新聞のWebサイトには江藤新平の説明文がありました。
http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1612909.article.html
上記URLから一部転載
佐賀の七賢人の一人、江藤新平の遺徳をしのぶ「銅像まつり」が14日、佐賀市の神野公園内の江藤新平銅像前で開かれた。江藤が政府軍に捕縛された高知県東洋町から澤山保太郎町長が初めて訪れ、「国民主権で近代日本を築こうとした『人権の父』を尊敬している」とあいさつした。
式典には、江藤のひ孫・江藤兵部さん(70)や秀島敏行佐賀市長ら関係者約100人が出席。「江藤を救えなかった後悔がある」と、東洋町からも15人が参加した。
江藤は明治政府の初代司法卿(現在の法務大臣)として知られる。澤山町長は江藤が全国にあてた一文に「政府の措置に異議があるものは申し出よ」と記していることを挙げ、「命令が当然の時代。国民主権が国家を強くするという信念が見える」と評価。政敵・大久保利通の謀略から40歳で処刑されたことを惜しんだ。
式典は銅像が完成した1976年から佐賀観光協会が毎年開催。玉ぐしをささげ、奉納吟や面浮立も披露された。
[転載了]
これを見るまでもなく、江藤の業績は現在の日本に大きな影響を与えたかと思います。
2010年08月15日
歴史の見方は…
歴史の見方というのは自分がどの立場にいるか、または自分の存在に近い、遠いによって“正義”なるものが変わってきます。
NHK大河ドラマほどの影響力がある番組において、主人公に選ばれた歴史の題材と、この主人公の敵役になった歴史の題材とでは、扱いが異なることが出てきます。
小生が「佐賀の地域振興」のために、江藤新平を大河ドラマの主人公にしてもらいたいと思っているのは、小生が「佐賀の人間」にほかなりませんが、仮に、江藤が主人公になったら、敵役というのが出てくるでしょう。
佐賀戦争(佐賀の乱)において、江藤新平は政府軍によって斬首されて首をさらされました。
明治政府の初代司法卿を務め、法制度の近代化を目指した江藤がその最期を、さらし首という旧法(江戸時代以前の)によって、裁かれたというのは本人にとってもことのほか無念であったに違いありません。
そして、ドラマ上でこうしたストーリーが展開した場合に、その敵役になるのは恐らくは大久保利通でしょう。
大河ドラマは歴史の教科書ではありません。
あくまでも「ドラマ」というエンターテインメントであり、作り物です。
しかしながら、見る側にとっては、どちらに主眼を置くのかは重要な問題でしょう。
したがって、江藤の敵役という役回りで大久保利通を描いた場合には、鹿児島県(旧薩摩藩、大久保の出身)から苦情が出るでしょうね…。
大河ドラマの舞台設定でもっとも現在に近いものでも明治初頭…。小生の知る限り大正や昭和はありません。
日本の歴史を考える上で、「自虐史観」のネタにされるのも、大正から昭和にかけてです。
そうした意味では、NHKとしても、歴史の描き方(※見せ方)について、リスクのあるようなことはあまりしたくないのかもしれません。
小生はこの流れにも少しばかり異議があり、そうした意味でも「江藤新平をNHK大河ドラマの主人公に…」というのは実現したいところなのです。
NHK大河ドラマ『翔ぶがごとく』
http://www.youtube.com/watch?v=drsq9DL4fyY
NHK大河ドラマほどの影響力がある番組において、主人公に選ばれた歴史の題材と、この主人公の敵役になった歴史の題材とでは、扱いが異なることが出てきます。
小生が「佐賀の地域振興」のために、江藤新平を大河ドラマの主人公にしてもらいたいと思っているのは、小生が「佐賀の人間」にほかなりませんが、仮に、江藤が主人公になったら、敵役というのが出てくるでしょう。
佐賀戦争(佐賀の乱)において、江藤新平は政府軍によって斬首されて首をさらされました。
明治政府の初代司法卿を務め、法制度の近代化を目指した江藤がその最期を、さらし首という旧法(江戸時代以前の)によって、裁かれたというのは本人にとってもことのほか無念であったに違いありません。
そして、ドラマ上でこうしたストーリーが展開した場合に、その敵役になるのは恐らくは大久保利通でしょう。
大河ドラマは歴史の教科書ではありません。
あくまでも「ドラマ」というエンターテインメントであり、作り物です。
しかしながら、見る側にとっては、どちらに主眼を置くのかは重要な問題でしょう。
したがって、江藤の敵役という役回りで大久保利通を描いた場合には、鹿児島県(旧薩摩藩、大久保の出身)から苦情が出るでしょうね…。
大河ドラマの舞台設定でもっとも現在に近いものでも明治初頭…。小生の知る限り大正や昭和はありません。
日本の歴史を考える上で、「自虐史観」のネタにされるのも、大正から昭和にかけてです。
そうした意味では、NHKとしても、歴史の描き方(※見せ方)について、リスクのあるようなことはあまりしたくないのかもしれません。
小生はこの流れにも少しばかり異議があり、そうした意味でも「江藤新平をNHK大河ドラマの主人公に…」というのは実現したいところなのです。
NHK大河ドラマ『翔ぶがごとく』
http://www.youtube.com/watch?v=drsq9DL4fyY