2010年09月02日
江藤と枝吉
このブログでも何度か書きましたが、江藤新平にとって最初の師匠と言えるのは、枝吉神陽でしょう。
二人を比較すると、なくなった年齢も40歳(現在の数え方で)なんですね…
枝吉 神陽(えだよし しんよう、文政5年5月24日(1822年7月12日) - 文久2年8月14日(1862年9月8日)
江藤 新平(えとう しんぺい、天保5年2月9日(1834年3月18日) - 明治7年(1874年)4月13日)
二人を比較すると、なくなった年齢も40歳(現在の数え方で)なんですね…
枝吉 神陽(えだよし しんよう、文政5年5月24日(1822年7月12日) - 文久2年8月14日(1862年9月8日)
江藤 新平(えとう しんぺい、天保5年2月9日(1834年3月18日) - 明治7年(1874年)4月13日)
2010年08月22日
佐賀の七賢人の中で…
佐賀における七賢人は、年齢順に書くと…。
鍋島直正、島義勇、佐野常民、副島種臣、大木喬任、江藤新平、大隈重信ですが、この中で佐野常民は“技術者系”でもありますね。
参照:ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%B3%80%E3%81%AE%E4%B8%83%E8%B3%A2%E4%BA%BA
前のブログで書いた『九州・山口の近代化産業遺産群』では、三重津海軍所跡(佐賀市)が候補に入り、今後、佐賀市では国産初と言われる実用蒸気船の「凌風丸」までの資料を集めています。
ここで、これまでになかった“発見”が出てくるのではないか…と期待しているところです。
小生はNHK大河ドラマに「江藤新平」を主人公としたシナリオを書きたいと思っていますが、佐賀の七賢人はすべて登場することになります。
島は、佐賀の乱(佐賀戦争)で江藤ともに、斬首の上、梟首されましたし、大木は江藤の後の司法卿、副島も江藤とともに「民撰議院設立建白書」に名を連ね、大隈と江藤は枝吉神陽から国学を学んだ仲です。
そして、鍋島直正(閑叟)ですが、司馬遼太郎の『歳月』の中でも数多く描かれています。
明治4年(1871年)1月18日に亡くなりましたが、江藤が葬儀委員長を務めたと言われています。
歴史に「もし…」は意味がありませんが、閑叟があと5年長生きしていたら、江藤の運命も変わっていたでしょうね。
鍋島直正、島義勇、佐野常民、副島種臣、大木喬任、江藤新平、大隈重信ですが、この中で佐野常民は“技術者系”でもありますね。
参照:ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%B3%80%E3%81%AE%E4%B8%83%E8%B3%A2%E4%BA%BA
前のブログで書いた『九州・山口の近代化産業遺産群』では、三重津海軍所跡(佐賀市)が候補に入り、今後、佐賀市では国産初と言われる実用蒸気船の「凌風丸」までの資料を集めています。
ここで、これまでになかった“発見”が出てくるのではないか…と期待しているところです。
小生はNHK大河ドラマに「江藤新平」を主人公としたシナリオを書きたいと思っていますが、佐賀の七賢人はすべて登場することになります。
島は、佐賀の乱(佐賀戦争)で江藤ともに、斬首の上、梟首されましたし、大木は江藤の後の司法卿、副島も江藤とともに「民撰議院設立建白書」に名を連ね、大隈と江藤は枝吉神陽から国学を学んだ仲です。
そして、鍋島直正(閑叟)ですが、司馬遼太郎の『歳月』の中でも数多く描かれています。
明治4年(1871年)1月18日に亡くなりましたが、江藤が葬儀委員長を務めたと言われています。
歴史に「もし…」は意味がありませんが、閑叟があと5年長生きしていたら、江藤の運命も変わっていたでしょうね。